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ちょっと時間があるので美を超えてみよう

美。

耳当たりの良い言葉だ。

 

しかし、

絶対的な美。といってしまうとどうだろう。

現在の一般常識(私の中での)から考えれば

排他的なニュアンスが含まれる。

 

1つの美以外認めませんというように。

個人の相対的な美を、絶対的だと崇めるように強制されているような感じ。

 

絶対的、とつけたので極端になったが、

日常会話としての美という言葉には、実は裏の要素、

醜という言葉が隠れていないだろうか?

「これは美しい、あれは醜い(あるいはパッとしないとか)」

 

わかりやすく例えると、

ある女性を美女と賞賛すれば、その陰で落ち込む女性もいる、といった感じ。

 

一見肯定しているようで、

認識の外で何かを否定している。

そんなつもりはなくても当然だし仕方ない。

無意識レベルで思っている(時代に思わされている?)ことだから。

 

これが一種の境界的な美。

識別。つまり分離している状態。

特定の者以外と和を以ていない美。ちょっと過激に言えば差別的な美。

 

では、皆が和めるような美は存在するのか?

美を超えた美は存在するのか?

私は存在すると思う。

この宇宙の境界をすべて取り払って、

1つの芸術として見た場合。

それを体感したときに感じる美。

それが真の肯定的な美ではないだろうか。

(面白いことに、絶対的な美となってしまう)

 

そしてその本質を映し出すような芸術作品。

つまり、「宇宙の似姿としての芸術作品」を見たときの感動。

それが根源の美に近い感覚ではないだろうか。