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火事場の馬鹿力の換骨奪胎

火事場の馬鹿力。
物凄く強い力のようなイメージがある。
 
一般的に、ヒトが緊急時にリミッター解除したような姿が思い浮かぶと思う。

しかし、緊急時のリミッター解除・・・
本当に緊急時だからなのだろうか?
ここでは違うという前提で話を進めてみる。
 
まず、このことを考えるにあたって次の2つのパーソナリティを挙げる。
掃除ができる人

掃除ができない人
 
ここで突如として、どちらが知的か?という問いを投げかけてみる。
私なら、後者だと答えよう。
前者は息をするように掃除をしてしまう → あまり考えもせず
後者は掃除に対して思いを巡らす → 良くも悪くも頭はフル回転
というのが私の見方だから。
知力を使っているのは後者だと感じる。

次に、
前者と後者を 意識と肉体にわけて考えてみよう。
前者:掃除できる肉体/掃除できる意識
後者:掃除できる肉体/掃除できない意識
つまり、
精神がリミッターのような働きをしている。

そして、早くも次の結論を出す。
「 馬鹿(無思考)にならないと高レベルの力が出にくい 」
火事場の馬鹿力を制限しているのは
自分の意識とそれまでに学んだ常識。
緊急時には頭が使えない。
よってすごい力が出やすい。
→よって、火事場の馬鹿力を出すには、必ずしも緊急時である必要はない
(こじつけっぽい部分もありますが、云いたいことはこんな感じ)
 
これって、
自然の法則と人間が作った法則の違いに似ている気がする。
 
人網魚も漏らす
天網恢恢疎にして漏らさず
酷吏も天には及ばない
悪も馬鹿正直には及ばない

人の意識には完全なシステムが作りにくいが、
天、すなわち自然の法則には完全なシステムが作れる。
人の限界を超える時ってこんな感じだと思う。